「疑わしきは被告人の利益に」や「疑わしきは罰せず」といった言葉を聞いたことがあると思います。
これは刑事裁判における精神です。
刑事裁判の判決は、被告人の人生に大きく影響を及ぼすものです。
従って、被告人を「有罪」とするためには、極めて厳格な立証が求められるのです。
動機において「コイツが犯人じゃなかったら誰が犯人というんだ!」というくらい明確な理由があったとしても、所詮は単なる「状況証拠」であり、物理的な証拠などで立証できない以上は「有罪」とすることはできません。
一方、民事裁判は基本的に「常識的に考えたときの責任」についてを争うものです。
よって、民事裁判の判決は、我々一般人の感情に近いものが下される場合が多いと言えます。
また、よく「被告は既に社会的制裁を受けている」として、原告が求める賠償を減額したりする場合があります。
これは、裁判にかけられた被告人の名前がマスコミなどに挙がることにより、会社をクビになったり、散々な嫌がらせを受けて迫害されたりしている場合に、裁判官が「この件で被告人は十分に罰を受けている」という判断を下した場合です。
ちなみに、刑事裁判で無罪、民事裁判で有罪(責任がある)となった有名な事件は、アメリカのプロフットボーラーであるO・J・シンプソン氏の前妻とその男友達が刺殺された事件でしょう。
刑事裁判では、シンプソン氏は状況証拠的に限りなく「クロ」に近いとされましたが、結局は「無罪」となりました。
しかし、その後の民事裁判で「シンプソン氏には2人を死に至らしめた事に対する責任がある」とされ、男性の遺族に850万ドルを支払うよう命じられました。